o blog que escrevo em português é Vida da uma japonesa

2016-10-20

郷愁散歩

今日の記事は、完全に私の備忘録であり、誰も何も面白くないし、写真が多用されていてうざいですよ。


小学2年の2学期から高校2年の夏休みまで住んでいた和歌山の海南市へ行ってきた。
海南駅でレンタサイクルを借りた。道を覚えてる自信がなくて地図をもらったけど、アバウトすぎて笑った。記念にもらったけど。
 駅前。すっかり変わっていて懐かしくもなんともない。
 初めて口座&キャッシュカードを作った銀行。ここのATMもよく利用した。。
ドルフィンのパン。焼き立てパン屋さん。私が生まれる前からあったお店。この場所ではなかったけどね。
 初めてハンバーガーを食べた店、ドムドム
そして、この通りにレコード店があったような気がする。
 いろんな思い出が詰まったスーパー「ココ」があった場所。向こうのほうに児童図書館が見える。よく通った。
 ココの向こうに美容室やお寿司屋さんがあった。お寿司屋さんで大好きなえびを最後にとって置いたら、おなかいっぱいで食べられなかったという悲しい思い出。
 こっちは古いほうのスーパー、ジャスコがあったところ。入口のお茶屋さんの抹茶ソフト、祖母が来た時によく買ってもらった。
 海南の繁華街一番街。もんちっちを買ってもらったなぁ。
 引っ越す前4か月ほど住んでいたマンション。こっちが表
 私の住んでいた場所はこっち側だった。一番上の階。ペロちゃん(猫)も一緒だった。
 県道の交差点。海南高校へ向う。
 海南高校。マンションから3ヶ月は県道を通って通っていたはずだと思ったけど、行ってみて、中の道だったような気も・・通学路、覚えてない。。。
 野鉄(野上鉄道)の駅だったと思われる付近から撮った写真
 野鉄の線路あと。遊歩道になってた。線路を歩いて電車に警笛をならされたなぁ。小心者の私が歩こうなんて言わないよ。悪友さ。

海南高校から三中に行く県道の曲がり角
 三中の前にあるお店はちょっとした文房具などが置いてあって、交換日記用にかわいいノートや紙袋など買ったね。ホカロン、出始めで一個100円もしたけど、画期的商品だった。みんなポケットに入れてたね。
 三中。体育館が新しくなってた。手前の校舎は新しい。中学校存続のために(合併を阻止)署名活動をしてくれたんだって。中学にはいい思い出はないけど、なくなるのは悲しい。
 奥はそのままっぽい。手前は女子が家庭科授業の時に男子が技術の授業を受けてた場所。トイレもそのままだった。
 道を進んでいくと、
 校舎の裏。この場所の草むしりをしたとき、ミミズがでてきて気持ち悪かったなぁ。ミミズ話はなんとなく恋の思い出にリンクしてるんだよね。奥は遠くから通っていた生徒の自転車置き場。
 マラソン大会で走らされた道。走るの嫌いだから苦痛だった。
 こっちの道をと通ってもいいけど、今日はまっすぐ(左)の道、通学路を行く。

こんな景色だったかなぁ。記憶にない。
 こんなに狭い道だっけ。
 ツバメが巣を作ってた家があるはず、と思って見てたら、あった!家は新しくなってるけど、ツバメの巣。20年過ぎても同じ場所に帰ってくるのだなぁ。
 左に折れて、さて、どっち?右だったと思う。線路が高架になってるからよくわからない。

途中で曲がって、内海小学校。内海幼稚園で運動会をしているようだった。入りたかったけど、レンタサイクルをとめて中に入る人って怪しくない?
体育館の場所はそのままだなぁ。校門はこっち。転校してきた初日はこの門をくぐったけど、その時だけで、あとは校庭にあった歩道橋を使って通学した。高架になってしまった今、歩道橋はない。
 校門前の道、右側に駄菓子屋兼文房具店があり、同級生の家だったけど、なくなってた。左は保育園だったか、選挙の時の投票所だったけど、家になってた。
 まっすぐ行くと、左の駄菓子屋は、かろうじてあるような感じだった。おでんが売ってる駄菓子屋だった。おでんがあるってびっくりだった。この近くのそろばん塾にちょっとだけ通ったけど、すぐにやめちゃった。習い事は続かない。今もそう。

ぐるっと回って反対側に来た。まさにこの門のあるあたりに歩道橋があった。右はプール。あの校舎は私たちが5年生の時に新しくなったから、同じのだと思う。 かいせん塔はなくなっていた。おもしろかったのに。今思うと危険な遊具だけど。

奥の遊具。色がカラフルになってるけど、同じで感動した。

小学校の通学路だった道。田んぼのあぜ道だったのに、きれいになりすぎ。ここは同じ。
 ちょっと寄り道。日限山。お祭りがあってね、ひよこを買ったら大きくなっちゃって、メスだったはずなのに、全部オスだった。裏の鶏舎で引き取ってもらった。
 日限山の前にあるのが、ドルフィンのパン屋さん。以前はここだった。お店の建物はそのままだった。姉が生まれる前、父と母がここで焼き立てパンを買ったら、おいしくて、ちぎって食べながら家に帰ったんだって。何度か聞かされた話。
 日限山の横にも駄菓子屋。昔は駄菓子屋が多かったね。チューブのチョコが大好きだった。
 道を戻って家に行こう。
ここはきれいに家が立ち並んでるけど、田畑があって、奥に牛がいた。おそらく、かつて農作業に使ってたけど、年老いていたという感じだった。ときどき見に行った。
 白壁の家はそのまま。白壁が終わるところにある小道を入ったところに友達の家があったはずなのに、わからなかった。暑い日、彼女が、帰り道に「ちょっと待ってて!」と言って家に帰り、持ってきてくれたのは「氷」。帰り道に寄り道したり、お菓子を食べたりしたらいけないけど、氷をもらうのは「あり」だと思った。うれしかった。
 集団登校の集合場所。そのまますぎてうれしい。ちょうどこのシャッターの前で、気づいたのだった「あ!ランドセル忘れた!」自分でもびっくりだ。
シャッターのほうから振り向いたところ。この道を曲がってみたかったけど、同級生の家を確認しすぎるのも怪しすぎるのでやめた。今でも彼はそこに住んでるのだそう。会ってみたい人のひとり。
さぁ、振り返らずすすもうぜ。
集合場所の近くが売りに出てた。長期滞在はしてみたいけど、住みたくはない。車を持てない(免許のない)人には暮らしにくいと思う。
 左はミカン畑だったのに、ずっと家になっていた。
 右手が私の家だった場所。この坂を上っていくと鶏舎があり、そこで卵を買っていた。ざるを持って買いに行くと、生みたて卵を入れてくれた。今ならよだれものだけど、当時は何とも思ってなかった。価値のわからないやつ。
赤い四角が私の住んでいたところ。社宅だったから大きかった。上2軒分が家屋で、下が庭だった。庭が広くて、柿の木が5,6本、八朔の木もざくろもあった。山椒の木もあったな。毛虫が多くて嫌だった。
かつて庭だったところ。ジュウシマツや、金魚、かめ、死んだ野良猫も埋めてあげた。お墓がいっぱいだよ。ペロちゃんもここで生まれた。野良猫の子だったんだ。妹が野良猫のけんかに手を出して噛まれたのもこの場所だ。
 こっちへ行くと鶏舎があった。今はない。
戻って、ここがまさに家の玄関のあった場所。ここで9年弱過ごした。小学校2年の2学期から高校1年の終わりまで。子供時代の思い出のほとんどがここにある。
 近所を散策しよう。
右の桜の木は毎年一番先に咲いていた。早咲きの桜。左はミカン畑だけど、池があって、ウシガエルがモーモー鳴いていた。ウシガエルのオタマジャクシは大きくてえぐい。
 ここは同じ。塾からの帰り、ここがかなり暗くて怖かったけど、星空がすごくよく見えてオリオン座や北斗七星を見たなぁ。
 塾への道。鈴木屋敷の前を通る。
 屋敷は取り壊されていた。私が住んでた頃でさえかなりぼろかったから直すことができなかったのかな。
 変わってないように見えるけど、違うのかな。遮断機はなかったけど。
 同じ雰囲気だけど、家が密集していたのに、ない。枇杷の木もなくなってた。
 家から一番近い駄菓子屋。くじ付きアイスをよく買った。
 もうちょっと進んで左に曲がるとこの辺りにたこ焼き屋があった。10個100円だったかな。ポストのあたりには商店があって、食パン買ってた。まっすぐ行くと塾のあったところ。
電動自転車は慣れないので、足をがんがん打ったけど、この下の道から藤白神社に上がる道は急な坂道なので、楽ちんだった。

どんな神社に行こうとも、やっぱり私の氏神様はここのような気がする。来て感じた。お正月はいつもここにお参りに来ていたし、大晦日の夜は家の前をぞろぞろと歩くにぎやかな人の声を聴いて眠った。お正月には獅子舞いがあって、いつだか餅まきもあって、子供会の御神輿もあったんだった。
お参りをしようと自転車を降りて携帯を見たら、友達からメッセージが入っていた。小中高と一緒に通った友達だ。引っ越し続きだった子供のころ、「幼馴染」にあこがれていたけど、今思う、そっか、彼女は私の幼馴染なんだなって。
以前の家に戻って、坂道を上がっていくと彼女が外で待っていた。話は尽きず、だって20年以上ぶり。あっという間に帰る時間だ。駅には何も郷愁を感じないけど、また来ようって思った。

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